ジムトンプソン(1906年3月21日生)は、1950年代と1960年代にタイのシルク産業の活性化を支援したアメリカ人として知られる。
晩年、彼は失踪することになるが、当時の彼はアジアに住んでいる最も有名なアメリカ人の一人だった。
現在では、タイシルクの代名詞のように使われているジムトンプソン。
1941年、彼はデラウェア州州兵連隊に入隊。第二次世界大戦の勃発前にフォートモンロー、バージニア州の軍事前哨基地に移った。
そこで彼は少尉エドウィンF.ブラックと知り合い、それが彼をOSS(CIAの前身組織)へと導いていくことになる。
第二次世界大戦激化の高まりを受けて、彼はOSSの工作員として活動するよう任命される。
北アフリカ、ヨーロッパ、スリランカと移動した後、1945年8月、彼はタイへ送られようとしていた。
そして彼はまもなく終戦記念日の後にタイに到着し、バンコクのOSSオフィスを組織した。
1946年後半、トンプソンは退役のために米国の自宅へ戻った。妻と離婚後、彼はバンコクでオリエンタルホテルを買収する投資家グループに参加するためにタイに戻った。
そこで仕事に励んでいる中、彼は仲間との価値観の違いを感じ、株式を放棄。その後、彼はシルクに注力していく。
タイシルクに興味を持った彼は、ニューヨークにタイシルクを売り込みに行き、雑誌「ヴォーグ」の編集長に認められる。
これが、ジムトンプソンがタイシルクと共に歩み始めるきっかけとなる。
1948年、彼はジョージ·バリーと提携し、タイシルクの会社を設立した。
1951年に、デザイナーのアイリーン·シャラフがブロードウェイミュージカル「王様と私」のためにタイシルクを使用した舞台衣装を作成してから、タイシルクの名を一躍有名にし、その会社は急成長した。その後も、会社は順調に成長していった。
トンプソンはビジネスを成長させる上で、特に秘密は無いと言う。
「最初の段階では、高い品質と信頼性を備えたビジネスを行うこと。私たちはよく売れているパターンや色を思い付くたびに、正確なやり方に沿っているか常に確認している。そうすれば、我々の顧客が再び購入してくれるとき、彼らは統一感のある商品を手に入れることができるので、とても安心できます。」
「同様に重要なことは、世界のこの分野における家内工業は、ほとんどの人が実現する何よりも重要であるということ。この分野での織工の大半は、その製品を誰が買ってくれているか気にもかけないし、知る必要もない。しかし、お客様の好みや要件が何であるかを知ること我々にとって必要なことである。」
「タイのシルク織工技術は何百年も歴史がある。すべての子供は織り方について学ぶが、自分たち家族のためにそうするだけである。彼らのスタイルや色合いは、外国の消費に適していない。世界の消費者が何を求めているか知るのにとても時間がかかった。我々が我々のクライアントをいかに良く理解するかということに関して一切違いがない。本当に重要なことは、彼らが我々の製品を好きかどうかである。」
「シルクそのものが魅力の大半を占める。それは、エキゾチックな神秘さと豊かさのオーラを有する。何世紀にもわたってそれは王家の服飾として使用されてきた。我々の販売理念としては、すべての人が王族のように着飾ることである。」
タイシルクと結びついた、輝かしい宝石のトーンとドラマチックな色の組み合わせに加えて、彼は貧困に苦しむ何千ものタイ人を救った。
コテージ·ベースの会社を維持するという彼の意志は、彼の労働力の大部分を占めていた女性のために重要であった。
つまり、彼女らが自宅で仕事をできるようにすることで、稼ぎ手となりながらも家庭での役割も維持できるようになった。コラートにタイ王国陸軍のためのベースを移転したのは、彼の失踪後だけであった。
1967年のイースター休暇中に、彼はマレーシアのコテージにて突然失踪してしまう。さまざまな憶測が飛び交い、あらゆる調査が行われたが、現在に至るまでその真相は明らかになっていない。
ジムトンプソンが愛し、世界に広めたタイシルクは、彼の意思を引き継いだ大勢のスタッフによって、現在では世界中にその名を広め、不動の地位を築いている。